適応障害で休職して感じたことや過去のこと③
大学に入って後も勉強に対するプレッシャーは消えませんでした。
周りは全国から来た頭の良い人たち。
何と言うか、もう次元の違う人達の集団。
私が入った学部は2年生からコース別になるシステムだったのですが、希望のコースは1年生の成績で決まるため、みんな最初からバリバリ勉強頑張っていました。
コースによってもレベルが違っていて、人気のコースに入るには良い成績を取る必要がありました。
成績は良い順にAA、A、B、C、Dとなっていて、C以上であれば単位が取れたのですが、希望のコースに入るためには、A以上(点数だと85点くらい)を取らないと厳しい状態でした。
テストの度に「A以上取らないとダメだ」と追い詰めるように勉強しました。
振り返ると、大学でも自分が何を学びたいかという事よりも、全部で良い成績、レベルの高いコースに行かなくちゃいけないという事が大切になっていました。
また、当時付き合っていた彼氏もそういうタイプだったので、「良い成績じゃないと嫌われてしまう」という強迫観念も重なり、勉強に対するプレッシャーがますます大きくなりました。
周りの子達は要領良く程々に勉強して、単位さえ取れれば良いという感じで、学生生活を楽しんでいるように見えました。
そしてそういう子達の方がサクッと良い成績を取っていたり…
頭の良い子はどんどん高いレベルに進んで、
自分は勉強しても彼らに追いつかないし、かと言って要領良くやって学生生活を楽しむという事も出来ない…
親に高いお金を出してもらって通っているのに、何のために行っているのか分からなくなりました。
4年生の時に研究室に配属になったのですが、そこから更なる地獄が始まりました。
今思えば、あの時も適応障害を発症してたんだろうと思います。
研究室はとりあえず卒業生に公務員が多いところを選びましたが、卒論テーマに全く興味が持てなくて、それがとても辛かったです。
頑張らなくちゃいけないのに、全然頑張れない。周りはどんどん実験進めてる。
何となく研究室の雰囲気に馴染めなかったことも辛かったです。仲のいい友達が同じ研究室でしたが、その子は学年のトップで、卒論も頑張っていたので、頑張れない自分に対して引け目を感じるようになりました。
だんだん辛くなってきて、トイレで泣いてしまう事もありました。体調もおかしくなってきて、疲労感が抜けなかったり、吐き気がしてトイレにこもるということもありました。
とにかく卒業だけはしないといけないという気持ちだけで卒論を何とかまとめました。
院でも同じ研究室に行く事になっていましたが、もう気力がありませんでした。
教授から新たなテーマについて説明されても、何も頭に入ってきませんでした。
このままではまずいと思い、学生相談室に駆け込みました。そこのカウンセラーの方が「もう不登校しちゃいなよ!公務員目指してるなら今から勉強したら?」と言って下さり、研究室に行かず、公務員試験の勉強をすることにしました。
試験までは3カ月くらいしかなかったので、ほぼ毎日図書館に通って勉強しました。
何とか希望の地方公務員に合格し、大学院は中退しました。
公務員に受かったから、正直これで自分の人生は安泰だって思ってました。
でも、社会人になってからもずっと苦しさは続きました。
〜次回に続く〜