適応障害で休職して感じたことや過去のこと②
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https://kakihurai.hatenadiary.jp/entry/2018/10/16/203905
高校に入ってからは、勉強に対してよりプレッシャーを感じるようになりました。
周りは勉強が出来る子ばかり…
しかも部活も行事も一生懸命取り組む子ばかりで、「みんないつ勉強してんだ…」と唖然としていました😭
順位はそれなりに良かったけど、落ちないように維持するので精一杯でした。
2年生の時に、進路相談の時に担任の先生から「カキフライはわざわざ遠くから来てるんだから、その辺の公立大学とかじゃなくて旧帝大とか入らないとなぁ」と言われ、この時特に行きたい大学はなかったけど、私はそういう大学に入らないといけないんだと感じました。
そう思うようになると、ますます自分が追い詰められるようになりました。
ある時定期テストの前に体調を崩して、なかなか勉強に集中できない時がありました。
「今回のテストは平均●点以上!」と目標を掲げたのに全然勉強が進まず、とても追い込まれてしまい、泣きながら離れて暮らす母に電話をしてしまいました。
次の日、母は仕事を休んで来てくれました。
「別に●点取らなくてもいいんだよ。赤点じゃなきゃいいじゃない」と励ましてくれました。
きっとこの時に「ああ赤点じゃなきゃいいか」と思えたら、考え方が少し変わっていたかもしれません。
でも私は「母に心配をかけて、仕事まで休ませてしまった。これじゃダメだ、頑張らなくちゃ」と思いました。幸いにもテストの結果は悪くなく、この時は何とか乗り切りました。
受験の時は「お前が受からないで誰が受かるんだ」とか「浪人できないんだからここで落ちたら終わりだ」とかなりプレッシャーをかけました。頭の中に脅迫的な松岡修造さんがずっといるような感じ笑
最終的には旧帝大の理系学部に現役で入ることができました。
受かったときはとても嬉しかったです。
親や先生の期待に応えられたと思ったし、世間で言う「良い大学」に入れたと。
でも何となく、違和感というか虚無感というかそういう気持ちがありました。
「もっと頑張って良い学部に行かないといけなかったんじゃないか」「もっと努力して良い大学に入らないといけなかったんじゃないか」という気持ちが消えませんでした。
自分では頑張ったつもりだけど、周りには東大とか京大、医学部に行く子がいる。
もっと上のレベルがあって、もっと頑張らなくちゃいけなかったんじゃないか。
自分はもうへろへろなのに、何処か「もっと頑張らなくちゃダメだ」という考えが抜けませんでした。
多分進路を決めるときに自分が大学で何をしたいか、「自分の価値観」で決めないといけなかったのだと思います。また、勉強ができるという事以外にも自分を認めてあげる材料があれば良かったんじゃないかと思います。
志望大学を先生の意見や世の中の評価だけで、自分は何も考えずに決めた。みんなが言う良い大学に入れば大丈夫なはずと。もし自分で考え納得した上で決めた目標なら満足できたんじゃないかな。「勉強はこのレベルだけど、私には〇〇もあるし大丈夫」という風に思えたら少し楽だったんじゃないかな。
結局、この「自分の価値観」を無視して周りからの意見や評価ばかりを気にしていること、偏った考え方(勉強できないとダメ)があるということに気づかなかったから、後々大学生、社会人になって更に苦しくなってしまったのだと思います。
〜次回に続く〜