カキフライの生き方模索日記

適応障害で休職中の20代後半♀。自分を削らない生き方模索中。牡蠣が大好き(特にカキフライ)

適応障害で休職して感じたことや過去のこと④

 

良い高校に入って、良い大学に入って、そして良い仕事に就けた。

きっとこれで自分の人生は良くなるんだって思ってました。

 

でも結局、同じことの繰り返しでした。

 

また馴染めない。追いつめられているような気持ち。

周りは優秀で意識の高い人ばかり。

仲間意識もすごく強い。

その雰囲気に合わせられなくて、意識が低い自分だけ浮いてしまっているような気分。

表面上浮かないように頑張っていても、合わせきれずボロが出る。

別に誰かにいじめられたり、何時間も残業させられている訳じゃないのに、どうしてこんなに辛いんだろう。

とにかく次の異動までの3年耐えようって思って過ごしてました。

 

3年耐えて違う部署に異動しましたが、逆に限界を迎えてしまいました。

前部署よりも忙しくはないけれど、もっと真面目な雰囲気。ガチガチに固められてるような。

残業は他の部署よりも少ないのに有給は全然取ろうとしない。それが善みたいな雰囲気。

最初は合わせようと努力したけど、異動して半年後くらいに仕事中何かがプツンと切れるような感覚がありました。

「あ、もう無理だ。」

そうなってから、仕事に行くのがとても辛くなりました。

夜眠れなくて、目覚ましより早く起きてしまう。

職場で責められる夢を見たり、黒い得体の知れないものに襲われる感覚になったり。

このままではまずいと思って、近くの心療内科を受診しましたが、先生がイマイチで…

とりあえず頓服の抗不安薬を飲みながら仕事を続けましたが、もうどんどん身体が動かなくなっていって、死にたい消えたいという気持ちも出てきました。

世間で過労死のニュースが流れているとき「死ぬくらいなら仕事辞めればいいのに」って思ったことがあったけど、追いつめられてしまうと人間って何も考えられなくなるんだなって思いました。

ここで電車に轢かれたら明日仕事行かなくていいのかって。飛び込んだ瞬間この苦しさから解放されるのかって。なんかそれが素晴らしい選択にすら感じてしまうんですよね。

私は怖くてそれができなかったけど。

プツンとなってから2カ月後、ついに仕事に行けなくなりました。

もう動けない。死にたい消えたい。もう無理だ。

少し経ってから新しい心療内科を受診して、適応障害という診断をされ、仕事を休むことにしました。

 

こんなことになってしまったのはとても辛かったけれど、でも心の何処かでこのままだといつかこうなるだろうなって思っていた節があります。

私いつまで走り続けなくちゃいけないんだろう。のんびりしたいのに、いつまで頑張らなくちゃいけないんだろう。

ラソンに例えるなら、みんな景色とか楽しみながら楽しそうに走っているのに、自分は何かに追われていて、転ばないで必死に走り続けることにいっぱいいっぱいになっているという感じでした。

 

結局私は転んでしまいましたが、やっと周りの景色を見ることができました。

完全に世の中からコースアウトしている状態ですが、自分と向き合う時間ができて良かったと思っています。

周りに合わせるために無視してきた自分の価値観や性質。自分はこんな人間だったんだと休んだことで新たな発見がありました。

こんな人間なのに、よくこんな環境でやってきたなぁと驚くこともあります笑

 

社会では何でもできる人が求められます。

私はもろ社会不適合者ですが、私にもきっと合う仕事があるはずと信じて、今は自分の内面と向き合っています。

 

辛いけど、ピンチはチャンス!のはず…⁉︎